「いま在る事実・現実」は、
心理的な不安、不快な感情、怒り、恐れ、悲しみのことも有れば、
身体的不調による、痛み、吐き気、だるさのことも有るが、
それらは、それ自体が強烈な力(エネルギー・威力・潜勢力)を持っている。
その「いま現に有る事実(身体/心理的現象)」の「意味探し・理由探し・原因探し」(過去の系列)や、「対処法探し・解決法探し」(未来の系列)に心を費やすことをしばらく止めて、
その、いまある事実に、じっと留まっていれれば、
その事実自体が、最も単純に、最も適切なタイミングと仕方で、自己展開、自己変貌し、
その真の姿(存在意義)を顕わにする。
それは「その事実自体」の活元運動(自働運動)である。
「気づき-洞察」とは心の活元運動(自働運動)であると言える。
それには、その事実が現れた意味・理由・原因を理解する・知る必要も無い。
意味・理由・原因を探す心の運動自体が、この事実からの逃げ・逃避であり、
それは、「いま、ここの、この事実」を受動的に見ることの妨げとなる。
その事実と共に居て、ひとつになる(ひとつである)ことができれば、それは起こる。
そのためには、その嫌な事実を無くしたい、そこから早く逃れたいとの心をしばらくの間でも停止させることが必要であり、私たちがやるべきことは受容的な気づきをもって「それ(その事実)」をじっくり見守り、待つことのみである。
それこそが、「受容的な気づき」と云う言葉によって表現されている中身であり、
それは、あらゆる問題に使える、万能の、「(対処しない)対処法」である。